前日の日記の補足。なぜ「人間同士のコミュニケーションなど、最終的には無理に決まっている」のか、「ギャルゲー的なコミュニケーションのありかた」について。

以下、東氏からコピペ。

私とあなたは絶対に分かりえない。したがって、私は私の内面を、あなたはあなたの内面を見つめることしかできない。しかし、にもかかわらず、私の内面に見えるものはひとつではない。私のなかには、たくさんのコミュニケーションのモジュール(『未来にキスを』で言う「属性」)が詰め込まれていて、あなたの中にもまたたくさんのモジュールがあり、それらが勝手に衝突しあうことで、「私」と「あなた」のコミュニケーションは成立している。

「私」というひとりの人間、「あなた」というひとりの人間、その両者は決して出会うことがないけれど、しかし、私の手とあなたの手が、あるいは私の唇とあなたの唇が、あるいは(あえてオタク用語を使うならば)私の「萌え要素」とあなたの「萌え要素」が、ほかにもさまざまな局所的で部分的なものたちが勝手に出会い、勝手に離散することで、私たちのコミュニケーションは成立している(ように見える)。私が考え続けているのはそういう問題だ。

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