引き続きグレッグ・イーガンらぶ。今、短編集「祈りの海」http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4150113378/qid=1072676517/sr=1-2/ref=sr_1_2_2/250-2824232-3145809
を読んでいるんですが、もろ「Sense off」的な話とかもあってツボにハマリまくりです。
 で、まずどんな感じの短編集なのか、面白かった2つを紹介。どちらも30〜40ページ程度の短さなので気軽に?読めます。

「ぼくになることを」
 自分をバックアップする宝石(ニューロコンピュータ)を頭の中に組み込むことが当たり前になった時代。ほとんどの人が脳が衰える30代になる前に生体脳からそのコピーである宝石に「スイッチ」する世界で、主人公は「スイッチ」によって自分が失われるのではないかと怯えるが・・・。

「誘拐」
 誘拐されたのは果たして誰なのか?仮想世界がつむぎ出す、古くて新しい形の「オリジナルとコピー」。情報達にとっての共感や誠実さや愛の物語。

 以下「誘拐」についてネタばれ全開。
 いや、もろにわかり易い「Sense off」ですな。初出自体は「誘拐」が1995年だからSenseより大分前だけど、テーマ自体は古い物だしね。以下Senseにも共通する、わかり易いセリフ。

「私が何処にもいないって?君も何処にもいないというのかい?いいかい、私たちはお互いのことを、どう頑張っても、そんな風にしか知ることはできないんだ―――イミテーションとして、<コピー>としてしか。私たちに知ることができるのは、自分の脳の中にいる、お互いの一部分でしかないんだ」

 例えばこういうことだ。A、B、Cという人物がいるとする。Aとはどのような人物かと聞かれたら、B、Cそれぞれで多少は違った、時には大きく違った像を思い描くだろう。AがA自身について描く自己像という物もある。ここで古い形而上学は、では「本当のA」とは何か?というような思考法をしてきたがこれはナンセンスの極みともいえる。Aに本物も偽物も無いし、あえていうならば、いるのはAを見つめる各人(A自身を含む)の中のA像だけだ。

 つまり認識こそが主人公にとっての彼女であるならば、盗まれた主人公の記憶から合成された彼女もまた「本物」である。結局、主人公はそれが自分の記憶に過ぎないと知りつつ助けることを選択する。

以下、元長テキスト
『wo-ai-ni(i love you)って本当に言えるの?
自己幻想の他者への投影じゃなく?そもそも他者って存在するの?』
「嬌楽の館」(13cm)どこにも売ってないよママン・・・_| ̄|○
 あ〜だりぃ。人間はハードウェアのメンテナンスに時間が掛かり過ぎますな。一日8時間寝たとしたら、それだけで人生の三分の一さようならだし。メモリーは勝手に消えたり、改変されたり無茶苦茶だし。まあ、時間なんて物は極めて主観的なものだけど。(千年後ぐらいには、時間を圧縮できるかも知れないしな)

 ん、待てよ。時間なんて、光速に近づけば済む問題じゃないか?時間を戻りたければ、宇宙を縮ませれば無問題。

 今日はワームホールを潜り抜けて、アルファケンタウリぐらいまで行ってみようかな。

 

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