12月22日の日記

2006年12月22日
ネット復帰してからROしかしてないから書くことが無いな。課題が溜まってやヴぁい状況ではあるんだが。
ROが一区切りしたら、同人えろげーでも作りたい所。

人工知能ネタでなんか書いてみたいな。機械が感情を抱けるのかとか、主人公が自分は人間なのか、人工知能なのか疑うディックっぽい奴。最近の人工知能理論では、感情はむしろ機械にこそ必要なものであるらしいが。

旧来の機械の状況判断、認知とは「想定状況に沿っているか?」

IF文で、YESならこれに対応するプログラムで対処可能、NOなら別の想定に対してYESであるか判断、YESならその想定にそって対処、NOであるならその別の想定〜である。

問題はその例外がキリの無いところと無数の想定が必要なところであった。(これをフレーム問題という)

つまり、型にはまった対応しかできないバカな機械の見本である。これは別の言い方をすれば、世界はデフォルトの状況とその解法に分類できるものではないということだ。

これに対して「感情」という機能のすばらしい点はいちいちこの例外チェック項目、想定チェック項目との合致にとらわれず、状況対処へのショートカットとして働くからである。

ライオンを目の前にしたとき必要なものは、これは猫科のライオンで、ここは草原で、戦うべきか逃げるべきか……云々といった細密な情報入力や多数の行動の判断可否ではない。必要なのは、まず「怖い」と感じて何も考えずに逃げることなのである。

これは半不死なAIと違い、生命が常に時間との戦いの中で生きてきたから獲得できたもので、情報の細密性と対処時間はトレードオフの関係にあるとも言える。

つまり感情とは、「判断することなき合理性(計算なき計算)」ということができる。(機械はXを無視しろ、と命令してもXを扱わなければ命令できないから、つまりXを無視できない)

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